完成されたものだけを尊びますか?このブログは未完です。

ここに書かれた文章はだいたい未完かあんまり納得してないけど投稿しているもの。

 

納得してから改めて投稿したりもするかもしれない。

 

それくらい文字に一度起こしてみるってことが大切なんじゃないかなって考えている。

 

今までの僕だと、何か言いたいことがあっても

「別の側面からの検証がまだ終わってない」とか

「この言い回しで果たして人に意味を伝えることができるだろうか」

って検証プロセスを経て、世の中に文章が投下される。

 

けど、だいたい途中で飽きちゃう、というかまあいいやもうなんかさめんどくさいねって思っちゃう。だからだいたい心の中にそっとしまってアーカイブだけが溜まっていく。

 

別にね、それでもいいけど、私の考えは、ずっと変わり続けるからその時の自分お勘定をもっと大切にしてもいいんじゃないかなって思う。

 

間違っていれば謝罪の声を大にして送らなければいけないと思うけど。

だいたい謝罪の声よりも、肯定の声の方が拡散されやすいんだよね。感動しやすいから。

だって謝罪は刺激的じゃないもの。

 

そんな過激なことを僕は言っているつもりないしまあこの話はいいってことにしとこう。

 

僕は今も昔も無名の人で、多分99.9%の人は誰かにとって無名の人だから、無名の人の声にこれからも耳を傾けていきたいなって思う。

 

あとね。

座右の銘があって

私にとっての当たり前があなたにとっての当たり前であるとは限らないし、あなたにとっての当たり前が私にとっての当たり前であるとは限らない。

 

ここでの当たり前って言葉は何に置き換えても使えるから、この公文はすごく便利だなって。

今日はこの辺にしとくね。

おやすみなさい。良い夜を。